株式会社エアデザイン株式会社エアデザイン
「自分のことをマイナーだと思っている、全ての人へ」

「あなたは、ふつうの人ですか?」。
現代においては、価値観の数だけ“ふつう”はあり、個人個人でその解釈にもギャップがある。つまり、誰もがマジョリティ(多数派)であり、マイノリティ(少数派)な存在になりうる。
『東京ふつうの人新聞』とは、そんな“ふつうの交換不可能な個人”を紹介していく、まったく新しいスタイルのWEB新聞です。そうすることで見えてくる、現代の「ふつうの人を再定義」していきます。

横川康次 俳優・事業家 SHORT FILM FESTA NIPPON

ガタイの良い身体を包むビシッとしたスーツ。無精ひげを蓄えた顔に切れ長の目。一見すると強面な印象を受ける。しかし喋りだすとその印象は氷解し、自身が企画したSHORT FILM FESTA NIPPON について説明するときの表情の前では誰もが無防備でいられるような印象に変わっている。(文責:保科時彦)

「自分の周りには障害者とかもいてショートフィルムの方が観やすいだろうなと思いました。会場の新宿FACEは格闘技やるものとして思い入れもあったし、車椅子の人も利用し易いからここにしました」。ジャンル不問、監督が29歳以下限定の10分間の短編映画祭、荒削りな魂を見せてくれる作品募集。それがこの映画祭の趣旨であるが「U29にしたのは無制限にするより分かり易いからで、別に29歳以上の監督でも気持ちが共鳴できれば平気」だという。さらに入場無料(17時からの映画祭自体は無料、19時からの特別上演は1000円かかる)なのもこの映画祭に対する横川康次さん(34)のスタンスを示している。「客は入場無料で、映画はプロ・アマ問わず。垣根を取っ払いたかったんですが、その分責任だけはきちんと持ってやらないといけないと思います」。

「湘南爆走族2000」、「亡国のイージス」、「スカイハイ」、「凶気の桜」など数々の映画に出演し、CM、テレビドラマ、舞台、イベント企画、映画製作と活躍の場は広い。「始めたら何事もプロになりたいと思ってしまう」と語る彼の現在までの職業遍歴は異様だ。もともとはバイクレーサーになりたかった横川さんだが、バイクで転んで怪我をしてからリハビリ代わりに始めたキックボクシングにのめり込んで行く。「その当時はコピーのトナーを作っている会社に勤めていました。プロのキックボクサーになりたくてサラリーマンをやめました。が、プロになり最初4連敗してしまい、タイに修行に行きました」。格闘家時代は文字通り減量に泣かされていたという。「175センチで50.3キロはかなり身体に無理があるんです。前日計量のボクシングと違って、キックは当日計量。ホントに泣きながらサウナスーツを着て走りました」。修行中の釈迦のような身体の無理が堪えて1年ほどで引退する。

「引退したあとバイトで食いつないでいたんですが、当時の職場の人で市民劇団をやってる人がいて、出てみないかと誘いがありました。お小遣いをくれるというので出ることにしました」。役者を始めると、また例の如くプロになりたいと思いバイトしながら役者として生活する決意をする。事務所を4~5回変えながら着々と映画やTVドラマに出演し、そのキャリアを積んでゆくが次第に自分でも映画が撮りたくなった。「映画を制作したり、表現者に発表の場を与えたりできるようにと会社を立ち上げました。株式会社っていうのは一つの手段で、小劇場だと道路使用許可一つ取ることすらむずかしい。株式会社にすると日本に認められるし、企画書も通り易いんです」。

その会社が今回の映画祭を実施するREIZ INTERNATIONALだ。「映画で金を稼ぐのは難しいとは思うけど、挑戦してみたかった。ただ責任だけは取らないと」と語る。

俳優としての自分と他の役者の表現の場、そしてそれを支える人、観客、誰もが利用し易い劇場、有象無象の人間が犇く新宿歌舞伎町という空間。それらが互いを排除することなしに結びついてひとつの循環を成している。この発想は横川さんの破天荒な青年時代の経験の上に築かれたものだ。

横川さんは小学校の頃、親に言われてボーイスカウトに入る。成績もそれなりに良く、学級委員長も努めていたというのに、日本の義務教育に対する違和感があったという。中学校の頃も先生に委員長のポストのオファーがあったというから、学校側からの横川さんに対する信頼性には定評があったのだろう。「ボーイスカウトで男のいやらしさを見ました。エロ本とか上の人から学びました。ボーイスカウト内でもいじめとかはあって、表面上の人権意識とか人間の本質、例えばエロスとかのギャップが面白かった。振り幅があるんですよ」。

高校では学校をサボりがちになっていったという。「喧嘩したって不良やってたって、組織の一部のような気がしてた」。いよいよ日本の義務教育が退屈になり「スピードの向こう側に行きたい衝動」に駆られバイクに跨るようになった。

高校卒業後はいよいよ日本を飛び出し中国の大学に留学する。「自分でお金貯めて行ける範囲だったから。学費+寮費入れても年間60万でいけます。山田うどんで朝から閉店までバイトして、郵便局でもバイトしてお金を貯めました。バイクを持って行きたいと言ったら、周囲からは何わけわからないこといってんだって反応でしたね」。中国では殆ど授業に出ずに一人旅に勤しむ日々。「野宿したり冬の零下の中座って切符を買ったり、人間の底辺を見た。はじめはそれがムカついたけど、それが人間なんだなと思った」という。「ここに来たのには何か意味がある」と感じていた。

「(中国)河南省の田舎の友人の家では豚が人糞を食べて育つんですね。究極のエコロジーですよ。それを19歳で見れたというのは貴重な経験です」。中国留学後、台北にある友人の台湾人の実家でホームステイし、帰国。長男なので親を安心させたいのもあって就職するが、「無理でしたね。サラリーマンやってる人を尊敬しますよ」。

散々回り道をしながら現在、10月11日、件の映画祭を行う。ちょっと想像してほしい。末端に生きる人、マイノリティと呼ばれる人、浮世に金を握り締めるホスト、ホステス、外国人。そしてふつうの人。いろんな人種と危うさを包摂した街、歌舞伎町。SHORT FILM FESTA NIPPONは誰も排除しない。自由な個人の自由な結びつき。障害者に対する姿勢も別に優しさではないという。「チャリティーなんて唱えてしまうと区別しているような気がする。障害なんてふつうのことです。車椅子だって、いい人が乗ってるなら押したいと思うし、イヤな人なら押したくないと思います。これって人間としてふつうのことですよね」。

人は一人の例外なく他者と共に生きている。しかし時々人は想像することを忘れる。他者がいることを、他者が自分と違っているということを、そして他者にとっては自分も他者だということを。

僕は横川康次の取材を通して思い出した。人は究極的には善ではないということを。善悪の彼岸にある豊かさを人は愛と呼ぶことを。

オメガ スピードマスター
座右の品

オメガ・スピードマスター



最初に宇宙に行った時計

プロフィール

【略歴】1973年12月9日 34歳 埼玉県越谷市出身→東京都中野区在住→越谷市立南越谷小→同市立出羽小→同市立武蔵野中→県立越谷西高→河南大学2年間留学→サラリーマン半年→キックボクサー1年→俳優(現在へ)【星座】射手座【血液型】A型【家族構成】母弟弟【趣味】読書(村上春樹、太宰治)、ツーリング【好きな食べ物】【嫌いな食べ物】ない【お気に入りスポット】ビルで夜景が見えるところ【座右の銘】了(好きな言葉。誰にも迷惑をかけずに終わらせたい)【好きなタイプ】癒してくれる人【嫌いなタイプ】自分勝手な人、人の気持ちを分からない人【尊敬する人】【子ども頃の夢】小学校の先生【あなたにとってのふつうの人とは?】+-ゼロの人はいないけど、全部足し引きしてゼロに近い人。揺らぐ人がふつうの人【楽器】ホルン(ボーイスカウトの鼓笛隊でホルン担当してから高校まで吹奏楽部でホルンをやっていた。)【演技で心掛けていること】役の人間に飲み込まれないようにしている

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