「編集者を諦めるためにきました」。
某出版社が開講している「編集者・ライター養成講座」で、参加理由に彼が述べた言葉だ。末吉広毅さん(31)が最初に正社員として就職できたのは28歳のとき、150社もの会社を受けた末に入った新聞社だった。(文責:吉田直人)
新聞記者の男と、編集者の女が出会い、結婚して生まれたのが彼だった。母親は出産後、少ししたら仕事に戻るつもりでいた。しかし、生まれてきた子どもは身体が弱く、とてもそんな余裕はなかった。父親の仕事は転勤をくり返さなければならない大変なもので、末吉さん自身11回もの引っ越しを経験している。転校続きの子ども時代というと、友達もできず暗いものを想像してしまうが、彼は転校するたびに肌の合いそうな友達を自然に見つけることができるようになっていた。
末吉さん高校一年生の冬、そんな引っ越し生活もようやく終わりを迎える。父親の仕事も落ち着き、東京へ返ってこられることになった。今まで、転勤生活だったため、心機一転して東京の家をリフォームしようということになる。このことが彼の長い長い戦いの日々の始まりだとは、このときは誰も知る由もなかった。
「シックハウス症候群」。
文字通り、頭のてっぺんから爪の先までアトピー性の湿疹、皮膚炎ができた。かゆみや痛みに耐える生活。休まる瞬間もない。当然勉強は困難になった。「歴史は好きだったし、暗記でなんとかなる科目は大丈夫だったのだけれど、集中して思考することができなかったから、数学のように思考が必要な教科がまったくできなくなってしまった。みごとに0点をとってしまいました」。体を動かすことは好きだったが、汗をかけないために、体育もできなくなった。「それでも学校が嫌いではなかったので通っていました」。
両親はメディアの人間だったので、情報だけは集まってくる。「どこどこの、○○が効くぞ」と、症状に効きそうなものがあれば、片っ端から試した。「“どうすればいいか”って考えたとき、親は一生懸命耐えているかんじで、相談できなかった」。二年浪人をして大学に進学、末吉さんの体に合う薬が出たのが26歳のときだという。「それまでは、とくに症状がよくなることはありませんでしたね」。受験を乗り越えた努力、学生時代の大変さは察して余りある。
薬が効き、体調が落ち着いてきて仕事ができるようになった。書店でアルバイトをしながら、辛抱強く続けていた就職活動の末、冒頭に書いた新聞社への就職となる。
「来月抜けた300万くらいの広告とってきて」。会社側は、どういうわけか末吉さんのことを“出版社で営業経験のある人材”と思い込んでいたらしかった。もちろんそんな経験のない末吉さんは苦労した。「向こうも新人を育てる余裕なんてないところだったから…」。それでも彼は努力し、入社の半年後についに広告をとることに成功。しかし、そこで退社する。ようやく広告もとれるようになったところでもったいないと引き止められもしたが、彼はストレスで食べ物が喉を通らないようになってしまっていたため、やむなく退社したのだった。
一つの困難がおさまると次の困難がやってくる。人生とは残酷な喜劇映画みたいだ。“覆水盆に返らず”それが末吉さんを支えた言葉だった。「そのときそのとき、できることをやっていこうと思ってきました」。末吉さんだけじゃない。生きていれば皆それぞれつらい経験も、うまくいかなかったこともある。ただ、彼の経験から、考え方から学ぶべきものがある。それは、彼は一度たりともなげやりになっていないというところだ。
転校が続いてもすぐに友達をつくり、アトピーがつらくても学校は休まず、かゆみや痛みと戦いながら浪人しても自分の好きな史学地理学科へ入った。就職活動でも“働ければどこでもいい”と思って適当に受けたわけではない。「両親の影響もあるとは思いますが、本も新聞もよく読んできていて、自分は比較的記者に向いているかと考えた。二浪していて病気持ちだったし、ほかの業界よりはそういうところに寛大な業界なので」と戦略的だ。
先に述べた理由で新聞社を辞めた末吉さんは「業界や仕事の知識が足りないことが問題かもしれない」と「編集・ライター講座」を受講した。「編集者を諦めるためにきました」というのは“やれることはすべてやらないと諦めはつかない”といいう気持ちの表れだろう。決して逃げ腰の台詞ではない。
“やりたいことをやる”ということにおいて、どうしようもないことはあるだろう。仕方ない。しかし、自分でできることの範囲において妥協の入り込む余地なんて、本当はきっとないんだ。
末吉さんは現在、書店に勤務している。「自分の裁量でできる部分が多い。“これは売れるな”“売りたいな”と思う本の並べ方や見せ方の工夫をして売ることができる。感度さえよければブームだって作れるかもしれない。そういうところが書店の仕事のおもしろいところですね。ただ、全然もうかりません」と笑う。仕事の内容には満足しているが、給料は手取りで10万を切ることもあるという。今後、ずっと勤めていくにはまだまだ不安はある。
「“情けは人の為ならず”ということだけは信じたい。自分がつらいときでも、たとえちょっとずつでも、人の為に何かをすると、必ず人は見ていて、自分のことも助けてくれるものです」。
自分が困ったときだけ人を頼って、あとは知らん顔ではいけない。人間同士の関わりというのは、使い古された言葉だけれど“助け合い”なのだ。「自分がつらいときでも…ちょっとだけでも…」。簡単なことじゃないが、簡単じゃないからこそ、その行為はとても尊い。
「本はある程度読んできたので、今までの経験を還元していきたい。自分と同じような症状などで悩んだり、困っている人たちに読んでもらえるようなものとか。ただ、「闘病記」的なものはつらくて読めない、と思ってしまうことが多いので、あくまで体験をモチーフにしたファンタジーを書いてみたい」。
人間臨終図巻
(徳間書店)
誰もが知っているような有名人でも「どんな死に方をしているか」は知らないことが多い。様々な人の臨終のエピソードが載っているので、中には自分の気持ちにひっかかる話もあって興味深い一冊。












