東京メトロ東西線早稲田駅下車、夏目坂を登る途中に大龍寺はある。定例の坐禅会では眼から鱗の落ちるような話をしてくれる一方、ミクシーにも参加し、華麗な絵文字を活用する日記も書く。そして、実物は吸い込まれるように話を聴いてもらいたくなるような優しい雰囲気を持った人だ。本堂にて、話したくなる気持ちを抑えてする質問に穏やかな顔で太田賢孝さん(35)は話をしてくれた。(文責:渡辺タケシ)
「副住職です。掃除ばかりしている拭く住職だったり、住職に服従する服従職だったりします。まあ、笑い話ですけど」。現在、大龍寺は賢孝氏のお父様を住職とし、賢孝氏とそのご家族で運営をしている。法事、葬式に出向くのはもちろん、檀家さんに対する案内、通信物を作成したり、掃除をしたりという業務内容だ。定期的に檀家さん以外にも参加を募って坐禅会も運営している。
「坊さんになったのはきれいに言えば縁です。坊さんになる道はいろいろあります。結婚相手が寺の娘だったり、親が住職だったり、自ら仏道に入る人もいます。僕は父が住職でした」。高校、大学を卒業してから福井県永平寺の門を叩く。1年の修行後、すぐに寺に入らずに自分の仏教に対する眼を開きたいと思い、駒澤大学に進学する。
仏教を学問として学ぶだけでなく、人に伝える手段を模索するため、宗派が設置する布教師の養成所に通う。その上で、より一般の人に、興味がない人にも仏道に心を向けてもらうにはどうしたらいいかと考え宣伝会議コピーライター養成講座に通う。「養成所でもコピーライター講座でも、同じ事を言われました。結局は大切なのは自己研鑽です。教義を自分の体験で消化して、自分の言葉で話す事が一番。法話のスキルはその次です」。布教とコピーライティングがこんな形でつながるのが面白い。
家業があったということをどう受け止めていたのだろうか。「学校の先生になりたいと思っていましたが、住職をしていても同じような事ができるな、と思いました」。小さい頃から土日は法事の手伝い。早くからお寺の生活に触れていた分、特に進路に対して違和感はなかったようだ。
ただ、現住職のお父様が賢孝氏の大きくなった時にお坊さんに「なりたくない」と思わせなかった事が興味深い。「やはり、檀家さんも跡取りができると期待するんです。大きくなったらお坊さんになるんだよね、とか言われても父は、それはこの子が決める事だからと、広い答えを出してくれました」。そこにある期待を背負うのではなく、俯瞰して見られるようにしてくれたのが重荷にならなかった。
毎日の目標について尋ねると、「企業のように昨年対比檀家数が増加、減少、という話ではないんです。庭の面積を増やすのではなく、庭というテリトリーと関係なく人を幸せにしていきたいと思います」と答えてくれた。寺院の目的とは「人が安心して暮らせる」ようにする事だ。
スケジュールについても「例えば、2週間びっちり予定を入れたりする事はできません。アポ無しで相談事に来る檀家さんもいらっしゃいますし、急の葬式などに対応できなくなります」。確かに、寺が大忙しだと安心して生活ができない気がする。
定例の坐禅会では坐禅を体験する他に賢孝氏の法話を聞く事が出来る。「漢字の『渡』にも『度』にも両方『わたる』という意味があります。『渡』は努力して渡りきるという意味、『度』は努力しつくして渡れない時に、ふいに他の存在からの手助けによってわたってしまうという意味。寺には『度』の要素が強いです」。
「不安を持ってお寺にいらっしゃる方には報われない努力があるという事もお教えします」。日々の暮らしのなかで努力をしていない人などいない。その努力が報われないのではないだろうかと不安に思いながら努力をしている人も大勢いる。そういった不安に対し、都合のいいように振る舞うのではない。逆に報われない努力があると言う事を諭す事によって不安を解消することもできる。
だが、本人も実務的には不安を抱えている。寺院内に書院(*)を建てる。「やはり、お布施やご寄付を頂戴しての事業ですので神経を使います」。こういう話を聴くと本人自身も普通の人なのだと思う。「以前、檀家さんの葬儀に出向いた際、女子高生に、車で来たんですか?お坊さんが車を運転していいんですか?と聞かれました。彼女の坊主像は百人一首の世界の中だけの存在だったんです。ipodなんかみせたらビックリしたかもしれません」。
今は寺務や法務の関係でお寺を空ける事も多いとのこと。そうすると家族にお寺の留守番を頼まなければいけない。「本当は家族には一緒にいてもらって、目の前で座って見ててもらいたい」。息子が8歳、娘が4歳になる。賢孝氏が父親を見て育ったように、二人も賢孝氏の背中を見て育つ事になるだろう。当然、「自己研鑽」は法話、布教の為だけではなく、大切な人に恥じない自分になる為のものでもある。
賢孝氏の姿勢は大勢の檀家さん、世の中に向けられたものであると同時に、ごく身近な人に向けられるものでもあった。「見ててもらいたい」と素直に言える姿勢がとても素敵だと思った。
「誰に話してもしょうがない」という話を誰もが持っていると思う。 誰かに話しても解決策をもらえるわけじゃないかもしれないが、 自分一人で逡巡していても出口が見つからない時にはお寺という存在に出向く事も一つの選択肢として持てるようになった。
坐蒲
坐禅の時に尻に敷くもの。「いつもお尻に敷いてごめんね」
【略歴】1972年4月20日生、東京都新宿区在住、新宿区立早稲田小学校→新宿区立牛込第二中学校→慶應義塾高等学校→慶應義塾大学経済学部→永平寺→駒澤大学仏教学部→駒澤大学大学院→大龍寺【星座】牡牛座or牡羊座【血液型】B型【家族構成】嫁・息子・娘【趣味】お出かけ【好きな食べ物】修行を終えたときに食べたカツ丼【嫌いな食べ物】食べた事はないが蜂の子、イナゴ【お気に入りスポット】誰もいない和室【尊敬する人】道元禅師【座右の銘】道中の衆は乳水の如く和合して、互いに道業を一興すべし【好きなタイプ】話が通じる人【嫌いなタイプ】時間を考えず話し続ける人【子どもの頃の夢】学校の先生、薬剤師、医者
【座禅会】日程:11月17日(土)、12月15日(土)(17時半受付、6時開始、20時前後解散)、場所:東京都新宿区原町2丁目62番地 曹洞宗 大龍寺、*毎月第3日曜日の前日(事情により開催しない月もありますので、事前にご確認下さい) 問い合わせは東京ふつうの人委員会へ
*書院…本堂が法要等をおこなう所なのに対して、法要に集まった人たちの控え室や法要後の食事に利用したり、お寺が企画する研修会・学習会・催事に利用したりする多目的施設












