自慢の変なTシャツを嬉しそうに自慢してくれる。これは、あれは、それは。Tシャツ以外にも可愛いプリントの施されたワンカップ大関やら、何やら。自慢の品が出てくる、出てくる。明星大学通信課程 田辺寛さん(29)の人生、行動は突拍子もない。でも、一つのキーワードで読み解くと全てを伏線にして道筋が浮かび上がる。(文責:渡辺タケシ)
大学では1年の時にインド、ネパール、タイ、ラオス、ベトナム、中国、2年の時にはオランダ、フランス、ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、クロアチア、スロベニア、イタリア、3年と4年の間に休学して、日本を歩き旅、卒業前に東欧を重点に旅、卒業後は某大手メーカーに就職するも数か月で体調不良をおこし退職。退職後は小学校教員を目指す傍ら、餅つきショー、害虫駆除、日本地図のデジタル化、他、と様々なバイトをする。趣味はもの作り、DJ、漫画を含め読書、また、琴線に引っかかるものは何でも集める。鞄、靴、レコードボックス、年賀状には自作の版画、何でも作り、DJとしては“DJ半額”を名乗り日曜大工DJなる怪しげなDJをする。自身がドラムとして参加するバンドでは退職後にアメリカライブを経験したこともある。過剰な趣味の多さとパワーを感じるがいったい何がしたいのかわからいない。だが、その全てが一つのキーワードを通じて繋がっていく。
そのキーワードは“(小学校の)先生”だ。バイトに関しては「教師になる時の肥やしになれば」と、意識して少し変な仕事を選んだ。零下10度の世界で延々と人参をビニールにつめる仕事や、リースのテントをひたすら拭いてたたむ仕事、また、害虫駆除では渋谷区全域を徒歩で作業をした。確かに普通の生活をしていたら巡り会わない仕事だ。DJに関しても日曜大工DJとは、サンプラーを使わないでライブで日曜大工をしながらその音を音楽に重るパフォーマンスであり、コールドカットの影響とは自身で言いながらも思いついたことを行動に移している姿には凄みを感じる。鞄、靴、ものづくりにしても消費するだけの立場と、作れる上で消費しているのでは質が違う。子どもに多くのことを語ってあげたいという想いがあった。
“先生”には中学校時代からなりたかったが、高校の時には諦めていた。それは「子どもに平等に接することができないから」「資質」がないと感じていたからだ。だが、転勤族だった家族故に点々と引っ越した昔の生活地域を見直す為の日本徒歩旅行では小学校3年生の時の担任S先生に会い、「田辺君みたいな人に先生になってほしい」と言われた。また、東欧の旅ではルーマニアで日本人学校の手伝いをしていた時に当地の先生達に「先生が向いている」と言われた。そうやって自分の方向性に関して自信を感じたという。しかし、先生になるために学府の中で育つより、民間の企業で経験を積むのも必要だと思い就職する。就職先は旅先で感じた経済格差に対して自分なりに改善策を提示したいとの思いで海外営業のある会社を選んだ。はじめの配属は国内だったが激務だった。7時の出社、日付が変わっても帰れない生活。2年半で退社をすることになる。
小学校3年生の担任S先生は忘れられない大人の一人だった。小学校3年生の時、田辺少年の学習机はお父さんの手作りの机だった。少年はその机がとても「恥ずかしくて、友達を家に呼べなかった」。S先生は家庭訪問をするとそれぞれの生徒の家を学級新聞に書いていた。田辺少年の家の家庭訪問の後の新聞にはこう書かれていた。「田辺君の部屋をのぞいてみたかい。机があったでしょ。世界でただ一つ手作りの机だよ。イギリスの王様だってもっていませんよ。その机は寛君が作ったのですよ。お父さんに手つだってもらってね」。この文章で田辺少年は言葉に言い表しようもなく救われた。こういった経験が先生になりたいと思った動機になっていた。
平等に接することができないことを負い目に感じていたが、ルーマニアの日本人学校では、平等に接することなど無理だ、と言われた。今の田辺さんの考えには、今、そこにあるものを受け止めるという姿勢が強い。「あるべくしてある美しさってあると思う。自作っぽさだったり、工業製品だったり」。そういうものに強く惹かれる。自身が作るものに関しても「100人中100人が褒めてはくれないし、駄目とも言わない」。「食べ物で言ったら、自分が不味いと感じても美味しいと感じる人がいるかもしれない」。存在をまず認めることは平等になれない田辺さんのひとつの回答であり、彼の芯になる感覚かもしれない。田辺さんはお父さんの作ってくれた机を認めてもらえた。田辺さんも「既にそこにあるもの」を認める。その後に湧いてくる感情はしょうがない。差別的に思う感情には「いけない、いけない」と気をつける。
焦りはないと言う。「東京都は教員採用制限が35歳から40歳に引き上げになった。静岡では60歳が採用制限になっている。ギリギリになってからでもいいかもしれない。鷹揚になった」。
就職に関しては、「大こけが早めでよかったと思っている。あの経験があったから今でも危ないなって思う時にはバランスが取れるし、挫折が遅かったら大変だったと思う。血肉になっている」。鷹揚な訳ではない。「小学校の先生はマルチプレイヤーであった方がいいと思う」。現在も勉強を続けながら、バイトを続けながら、様々な経験に積極的に身を置きながら“先生”という未来を見て行動をしている。
自身の部屋には先述のS先生の学級新聞が大切に保管してあった。古くなったわら半紙が変色していくのと同様に、一枚の学級新聞から影響されたキーワードで一人の人生が彩られていく。そして、田辺さんの存在も周りに彩りを与えることになる。
布ガムテープ
直感でいきなり使えるとっつきやすさ。手でちぎれて他に道具を必要としない自立性。応急処置のはずが経年劣化したりしているのを路上で見かけると、和む。
手軽に買えて、気軽に使えて、かっこいい。
【略歴】1978年7月4日生、東京都出身→小学校(栃木県、岩手県、宮城県、北海道、新潟県の各地小学校)→新潟市立小針中学→國學院大学栃木高等学校→明治大学法学部法律学科→(某)メーカー→明星大学人文学科心理教育学科通信課程【星座】かに座【血液型】A型【家族構成】父母姉【趣味】自作【好きな食べ物】また食べたいと思えるもの【嫌いな食べ物】緊張を強いられる場所で食べるもの【お気に入りスポット】サラエボ旧市街市場の隅にあるトルココーヒー屋、神戸のJR高架下にある喫茶店ホワイト、南新宿洋食店ソルタナ【尊敬する人】S先生【座右の銘】枯れた技術の水平思考(横井軍平)【好きなタイプ】利他的な人【嫌いなタイプ】独善的な人【子どもの頃の夢】探偵












